マキシマリスト父が我が子のように可愛がっていた盆栽をほとんど手放しました。
70代後半になり、大きな病気を乗り越えて、父の中で心境の変化があったようです。
改めて「所有するだけが愛ではない」と学びました。父の盆栽コレクションをぜひご覧下さい。
大好きな盆栽をほとんど手放した父

シンプリストである母とは対照的に、「もったいない」とモノを捨てられない父。
そんな父が最近になって盆栽をほとんど手放しました。あんなに盆栽が大好きで、庭を埋め尽くすほど持っていたのに。
歳を重ね大病を経て、自分では手入れしきれなくなったため、信頼できる方々に託したそうです。父の盆栽への深い愛情を感じます。
庭に松を1本だけ飾り「どうだ、カッコイイだろう」と笑う父の姿に、いろんな感情が込み上げてきました。うん、凄くカッコイイよ。お父さん。
※自分が手入れできる盆栽を数点のみ残し、大きな盆栽を中心にそれ以外はすべて手放したそうです。
父の盆栽コレクション
Xで定期的にアップしていた父の盆栽たち。
読者やフォロワーの皆様が盆栽に興味を持って下さることを、父はとても喜んでいました。
宜しければ、父の盆栽コレクションの一部をご覧下さい。

紫陽花の盆栽。元々は庭に植えられていた大きな紫陽花でした。ここまで小さくするのに10年近くかかったそうです。
ミニマルでとても可愛らしく、「盆栽のイメージが変わった!」とたくさんの方に褒めて頂きました。

藤の盆栽。何十年も父と一緒に過ごしてきた大切な樹。
樹齢は父とほぼ同い年だそうです。幹肌に歴史を感じます。花も、枝ぶりも、本当に美しい。

「東洋錦」という木瓜。一つの樹から数種類の花が咲きます。
赤い花、白い花、ピンクの花・・。

一つの花で花びらが紅白に分かれることも。神秘的ですね。

ちなみに白木瓜からは白い花しか咲かないそうです。

ホタルブクロの盆栽。 幻想的で美しい・・!
何だか花の中に妖精が住んでいそうな雰囲気です。

ミニばら盆栽。薔薇の花びらってこんな可愛い形もあるんですね。

母が生前の祖母へ贈った、アーチ状の薔薇を盆栽にしたものです。父から母への思いやりを感じます。

母が「1番父らしい作品」だという、文人調の五葉松。侘び寂びがいいですね。
手入れ前でちょっとボサッとしていますが(笑)、それも何だか味になっています。

紅梅の盆栽。この枝ぶりが大好き。実家ではお正月に飾ることが多いです。

松や竹の盆栽と一緒に並べて「松竹梅」と縁起良く。

紅白でめでたい、白梅と木瓜の盆栽。
梅の蕾が開くと「厳しい寒さもあと少しだ」と、春の訪れが楽しみになります。
ほのかに漂う、梅の上品な香りが好きです。

石付き盆栽。一つの石に、ユキノシタ、マメヅタ、シダなどが共生しています。
小さな鉢の中に広がる、壮大な自然の風景。盆栽の醍醐味はここにあります。

ナツハゼの盆栽と水石。涼しげで夏の夕暮れによく似合います。
葉と枝だけなのに、こんなに美しく心をとらえるのは何故でしょうか。

5分咲きの木瓜。 満開よりもこれくらいの状態が1番美しいのだそう。
「完璧な状態より、少し足りないくらいがいい。盆栽も人間もそうだ」という父の言葉が印象的でした。
所有するだけが愛ではない

子供の頃、父の作品を見るために盆栽展へ何度か足を運んだことがあります。それぞれの盆栽が持つ独特の世界観に圧倒され、子供心にとても感動しました。
本当に必要な枝や葉だけを残すことで、樹の美しさがより際立つ。ミニマリズムに通ずる引き算の美学。私にミニマルライフがしっくりきたのも、もしかしたら盆栽の影響なのかもしれません。
「盆栽は個人のものではなく、預かっている状態なんだ」と父はよく言います。
何世代にも渡っていろんな人に手入れされ、盆栽を愛した人たちの想いと一緒に受け継がれていく。
今回盆栽を整理し終えた父から、所有するだけが愛ではないと教わった気がします。

時には手放すことも愛のカタチ
▼ 父と母のエピソードが載っています